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「非常に失望していると言わざるえない。」
大勢の政府関係者、報道人に囲まれるなか、 険しい表情でさらに語気を強める。 「口先ではなく、行動で示していただきたい。」 鋭い視線で正面を見据える。 洗練されたデザインのヒョウ柄メガネ、 ベリーショートのブロンド、 耳と首もとに上品な金の装飾品、 仕立てのよさそうなダークカラーのスーツ、 ヴィトンの(黒・マルチカラー)バックを手に、さっそうと会場を後にする。 旧ユーゴ国際刑事法廷/国連検察官、カルラ・デル・ポンテ、その人。(下写真) 映画『カルラのリスト』は、旧ユーゴスラビア紛争で起きた大量虐殺の戦犯を起訴すべく働く彼女の仕事ぶりを追ったドキュメンタリー。先日の日曜日、なんの事前知識もないままに、恵比寿の上映会&シンポジウムに立ち寄った。 上映後すぐ感想を求められていたら、おそらく、 「かっこいい」 と、間の抜けた答えをしたであろうほど、カルラに魅きつけられた。 国際政治裁判や旧ユーゴスラビア問題、はたまた国際正義をめぐってのミャンマー軍事政権問題などについては、映画公式サイトやその他の詳しい方がいるので無知の私はここでは触れない。というか、そういった事前知識がなくとも映像のもつ迫力にひきこまれるし、観た後もふつふつとした影響が長持ちする作品だとおもうのだ。「むつかしい」と頭をかかえつつ「がんばって」観るより(それはそれですばらい意気)、「なんかすごい」と圧倒されてから背景知識を増やし、投げかけられている問いに向かい合ってみるのもいいではないか。 といっても、もともとこういう問題に多少関心があるような人は、機会があれば観る人は観るので何もいうまい。ただ、この映画に対しての大概の感想/評価を聞きかじったらおおよそ観ないであろう以下のようなタイプの人に向けて、ひとことふたこと。 ー映画『カルラのリスト』に対しての大概の感想/評価を聞きかじったらおおよそ観ないであろうと予想されるタイプー ①カルラが怖そうだから遠慮したい(上写真参照) ②社会問題やらの小難しそうでややこしいものに関わりたくないし、知りたくもない ③世界平和やらの大そうなことはピンとこないし、身近な「小さな幸せ」を大切にしたい 国際政治の舞台で、しかも、戦争犯罪人を捕まえるという職務上、身の危険はせまるし、各国の協力も一筋縄ではいかない。その辛抱強さとタフさは恐ろしいほど。確かに近寄りがたい雰囲気も感じられる。その一方で、たとえば、ある会議中、相手政府との交渉が芳しくないという報告をきき、部屋全体が重苦しい空気になったとき、すかさず、 部下「どうやら、彼ら(確か被疑者?)は〜国から〜国に列車で、〜から〜は車で入国したようで、〜国には・・・」 カルラ「自転車で?」 と知的ボケをかます一面もある。アメリカとの交渉が進まず、再度仲間と話合いをする時に、「タバコをふかしている姿を写さないで」、とカメラをなじり(でもしっかり記録されている)、どこか可愛らしくも、青少年教育に対する思いやりさえ感じさせる姿。夫や息子を虐殺された女性たち一人一人からの面会の申し出に応じたり、その弔いの式典に「まだ捕まえていない犯罪責任者が残っているから」という理由で出席せずに事務所で仕事をする姿・・・。交渉現場と記者会見がほとんどをしめる映像のなかで、くそ真面目で怖いオバサンではない、正義感にみちた力強くもチャーミングな女性像が浮かび上がってくる。だから①タイプは怯えなくて大丈夫。②タイプには、問われている問題ではなく、カルラという人間に注目して観るのはどうだろう。 私自身がこの映画の中で最も注目したのは、彼女の言葉・表情・立ちふるまい。相手に自分の意志を伝えるカルマのコミュニケーションスタイルに見入ってしまった。というのも、規模や責任の重さなどの違いこそあれ、拡大/縮小してみれば、カルマの任務における交渉ごとと、一般庶民が生活していく上で対処しなければならない人間関係の問題には共通するものがあると感じたのだ。 本当は憤りを感じているのにいつの間にか「ヘラヘラ」としていたり、八方美人な態度をとり、相手に本心がうまく伝えられず、自己嫌悪におちいる。なにかの交渉になると、互いの利益にもならない結果になってしまう。「眉間にしわ寄せるなんてよろしくない、常にニコニコ朗らかでなければ」などなどとあせっていたり。そういうことは少なくとも私のような小心者の日々の生活の中でよくあること。 ところが、カルマは「怒り」や「不満」といった一般的にはマイナスにみなされる気持ちを正面にずばっと、「私はがっかりしている」とはっきりと言葉で表し(このカタチを心理学的にいうとアサーションというやつか)、さらに、表情にも不快感をあらわす。感情を垂れ流すのではなく、然るべきときに然るべき態度をとる。明晰な頭(ヘッドワーク)とチームの連携(ネットワーク)そして行動力(フットワーク)を戦略的に用い、最善の結果へ邁進していく。たとえうまくいかなくても、立ち止まらず進み続けていく。 その姿勢は見ていてほんとうに気持ちがいい。 国際政治上の交渉術から、まわりの身近な人付き合いに応用するなんていうと、怒られるかもしれないが、どちらにしろ、あつかっているのは人間なのだから、そういう見方もあっていいはず。だから③のタイプも地球規模の交渉術から、自分の身の回りの人間関係をよりよいものにするために学んでみるのはどうかしら。 そこから映画の中で投げかけられている問いに関心がわくようになって、自分から半径◯メートルの「小さな幸せ」だけを考えていたのが、より広い範囲の公的世界に目をむけ、社会問題に取り組んでいくようになればなおのことよし。 ものごとのきっかけなんて、 眉間にシワ、もカッコイイ。 そんなもんで十分で、あとは根気の問題かと。 それにしても、カルラの粘り強さの原動力はなんだろう。再び彼女をまじまじ見るが、やはりよくわからない。さらにまじまじと彼女の眉間のシワあたりをみていたら、よくわからないままにも進みつづけるまで、と眉間が物語っているような気がしてきた。 この感覚はきっと、文字で読むより、写真でみるよりも、映像で確認するのに適しているはず。 国際政治問題に興味のある人、カルラに興味のある人、人付き合いについて、人生について、思うところがある人、および眉間しわフェチは映画館へどうぞ。
by jodaka
| 2007-11-08 01:33
| 映画
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